【コーヒー生産者STORY part5】コーヒー生産地に残る戦争の跡
どもっす!
最近ご飯に蟻さんが混ざってても気にならなくなってきた、いーちぇです。
しばらく間が空いてしまいごめんなさい!
生産者STORYパート5 スタート!
モームさん
今回お話を聞いたのは、モームさん。
去年までは組合に参加していなかったのですが、どうやら今年からJCFCの組合に参加するんだそう。
どうして組合に売ることにしたんですか?
子供がコーヒーづくりを手伝えるまで成長したからさ。
JCFCは高く買い取ってくれるから、前から売りたかったんだ。
組合に参加する人もいれば、抜ける人もいる。
コーヒー生産者にとって、組合にコーヒーを売ることは絶対ではなく、選択肢の1つです。
畑に残る戦争の遺物
インタビューを終えたあとに、彼の家の周りを見させてもらっていたのですが、とても気になるものを発見しました。
こちら。ただの飾りだとは思えない、、、
話を聞いてみると、彼がコーヒー農園を開こうとした時に、その土地にこの爆弾を見つけたらしいです。
この写真の爆弾は既に爆発しており、もう危険はありませんが、彼のコーヒー農園にはまだ不発弾があり、処理できずに目印を立てて近寄らないようにするしかできないのだそう。
なぜ、こんなところに爆弾があるのでしょうか。
それは、ラオスもまたベトナム戦争の戦場となったからです。
ベトナム戦争当時、北ベトナムの補給路であるホーチミン・ルートがラオスの領内にも通っていました。
南ベトナムを支援していたアメリカ軍は、その補給路を断つという名目で大量のクラスター爆弾を投下したのでした。
当時ラオス領内に落とされた爆弾は、およそ2億6000万発。
なんと、第二次世界大戦で使用された爆弾の倍以上の数だそう。
危険だが、家族のために農園に行かなければならない
現在モームさんは、ラオス政府が処理をしてくれるのを待っていますが、ラオスに不発弾はここ以外にもたくさんあり、撤去されるのがいつになるのかは分からないそうです。
戦争の体験談
ベトナム戦争に詳しい村人はいるのでしょうか。
ベトナム戦争を体験した人はいますか?
おれだよ、おれ。
なんと、パート3でインタビューしたカンブーンさんが、自身の体験談を語ってくれました。
しかも、彼は兵士として戦争に参加したのだそう。
カンブーンさん「ここ、セータプン村の近くの森林内でも戦闘があったんだ。
おれは北ベトナム軍の兵士として、アメリカ軍と戦った。
とは言っても、アメリカ軍の攻撃はほとんど空爆。
森の中で待機していたおれの軍がアメリカ軍とまともに戦うことはできなかったわけだ。
戦いがあった森のあたりは、今はノントムポーケムっていう名前の村になってるよ。」
思い出しながら語ってくれたカンブーンさん
ベトナム戦争が集結したのは、1975年。
それほど古い話ではありません。
ベトナム戦争は、彼らの記憶に、そして不発弾という形になって今もこの地に残っているのでした。
まとめ
このセータプン村に限らず、ラオスの多くの場所に不発弾が残り、ラオスの農民はその危険に怯え、まともに農業ができない人がたくさんいるそうです。
モームさんのコーヒー農園から、そしてラオス全土から、一日でも早く不発弾が撤去されることを祈っています。
それではまた!
参考:ベトナム戦争の傷跡クラスター爆弾被害に苦しむラオス